いでででで

このコはいつまでたっても心を開かないな。
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首・肩・腰・腿の裏・ふくらはぎ・足首が、つまりカラダの背面がおしなべて痛い。音の出ないクラリネット並にポンコツだ。オロナミンCの空き瓶を沢山ぶちまけて、その上を仰向けになってゴロゴロ転がりたい。もっといい方法あると思うけど。
眠っている時も痛みで目が覚め、寝ぼけた状態でストレッチなどして、ちょっと回復して寝ると二時間後くらいにまた目が覚める。おかげで寝不足で生活リズムがグチャグチャだ。
おそらくベッドに半分寝そべった状態で執筆しているのと、そのまま変な態勢で眠ってしまうためにカラダが硬化しているのだろう。気付くとMacBookと添い寝している状態なのだ。執筆はどこかのカフェでちゃんと座って行うのが集中もできてよろしいのだが、現在の手持ちのバッテリー二個では持続時間に不安がある。もうひとつ新しいのを購入して三個態勢で挑むか、電源を使わせてくれるカフェを見つけるか。

さて明日はマリアさんの先行発売。明日の売れ行きと公演の評判で次回公演の有無も左右される。みな張り切って必要にして十分な枚数だけご購入いただきたい。たぶん面白いよ。

『マグダラなマリア』の特徴のひとつは、言うまでもなくオリジナル舞台という事だ。制作体制はいわゆるアニメミュージカルに分類される舞台からの流れを汲んでいるが、出版社もテレビ局も全く無関係で、創作的な面からいえばほぼ小劇場スタイル。ただし本当の小劇場でマリアさんを上演してもおそらく違和感があるだろう。ミュージカルとは言わないまでも、歌や踊りの表現はある程度の空間の大きさが無いとオーバースペックになる。駅前劇場でマリアさんが「It's Entertainment!」を熱唱しても観客は戸惑うに違いない。大きな劇場だからこそ歌や踊りでのオーバーな表現が有効になる。

80年代以前、小劇場界がもてはやされていた頃は小さな場でも客席には熱気があり、祝祭性が保たれていた。しかし現在はある程度の規模の公演にならないとそれは生じない。と私は感じている。
多くのファンを持つマンガやアニメ作品を舞台化するという作業はそれだけでファンやマスコミの耳目を集めるし、容易に祝祭性を演出できる。最近アニメやゲーム原作の舞台がポコポコと粗製濫造されているのは、それが商売になると気付いた人が増えたからだ。粗製濫造自体は悪いとは思わない。それは活況とも言い換えられる。面白い舞台ばかりじゃないのは仕方が無いし、それでも楽しめる観客がいるならば、劇場のスケジュールが埋まらずに小屋が減って行くよりはマシだ。

一方現代において新進の小劇団が誠実に作ったオリジナル作品で動員を伸ばし、一万人以上の公演規模を実現させ、自らの手で祝祭性を獲得する事は非常に難しい。それにはいろんな条件が揃わなければならない。『マグダラなマリア』は出資してくれる制作会社があるので小劇団の公演とは同列にできないが、それでも現在において動員一万人を超えるオリジナル作品は多くないし、その規模で作演出をやらせてもらえる人間は日本に数えるほどしかいない。はず。『マグダラなマリア』が第三弾で早くも16000人の規模に達するのは当たり前の事ではなく、奇跡的なことだ。

多くの観客は自分の好きな役者が出るから、という理由で見に来るのだろう。それは全く構わないし、観劇の動機としては至極真っ当だ。オリジナルである以上、初日が開かないとどんな芝居なのか観客は分からない。キャスト以外の判断材料が乏しいのも当たり前だ。しかし『マグダラなマリア』を観るという事は、実は現在の演劇界においてとりわけ例外的といえる現象を目にすることなのだ、ということを念頭においておくと、ちょっと別の楽しみ方も出来るかも知れない。

もっともそんなこと関係なく、「あー面白かった!」で帰ってもらえればそれでいいのだけれど。
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by maestro_k | 2010-05-29 23:59 | diary