ナウシカ!

ちょっと遅れた話題になるが、先日の金曜ロードショーは『風の谷のナウシカ』だった。
これは私が中学生の時に公開され、その時に映画館で三回見た。盛岡で二回、もう一度見たいと思ったら盛岡では公開が終了していたので、わざわざ新幹線で一関まで南下して見に行った。そんな映画は後にも先にもナウシカだけだ。サントラの『鳥の人』も持っていた。もちろんLP盤だ。

ナウシカは宮崎アニメではあっても、ジブリアニメではない、という豆知識は意外と知られている。ジブリ設立以前の作品だからだ。なのに先日の放送では冒頭にデデンとジブリの画面が表示されていた、つまり今ではジブリアニメの扱いなのか。

中学生当時はそれは夢中でナウシカの世界に入り込んでいた訳だが、今では「王蟲の胴体の伸び縮みはゴムを使って撮影したんだっけ」とか「巨神兵の溶けるシーンは庵野秀明が担当したんだよな」とか夢のない見方になってしまった。もちろん作品の素晴らしさは全く変わらないけれども。
一方で人物造形に対する感じ方も変わって来る。以前は何と言ってもナウシカが魅力的で、ヒロインであるからにはそうでないといけないのだが、歳を取って来てクシャナやクロトワの魅力が判るようになった。ナウシカという少女は少なくとも映画においては劇中の人物および観客の「こういうコがいたらいいなあ」という欲望を高い純度で記号化した公的存在であって、自己の欲望という事に関しては空っぽだ。対してクシャナやクロトワは悪役のようだけれども、各々に自己の行動の明確な理由と動機があり、人間としてはナウシカよりはるかにリアルだ。悪役に明確な行動理由がないと結局存在が駆逐されるだけで終わってしまってつまらない。行動理由の消滅による感情と行動の変節が起こらないからだ。

以前ある大物財界人の方と食事していた時、「宮崎アニメはねえ、結局ナウシカが最高なんですよ」とその方が言うので「そうですよね!」と大いに頷いたものだった。

関係ないけど、ラピュタはガリバー旅行記に出て来る「ラピュータ」という空飛ぶ島が元になっていて、さらにラピュータの語源のla putaはスペイン語で「淫売」という意味。つまり『天空の城・淫売』な訳である。いいのかな。
[PR]

by maestro_k | 2012-05-16 02:11 | diary