受験シーズン

※写真と本文は関係ありません。
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世の中受験シーズンらしい。私も人並みに受験をくぐり抜けて来た。この機会に勝手に自分の受験体験を振り返ってみる。

・中学受験(岩手大学教育学部付属中学校)
岩手のような田舎では受験や進学に親がさほど熱心でない。ので中学受験すること自体が比較的珍しいのだが、私は母親が教育者だったこともあり、受けてみることになった。母校の仁王小学校からは私とFくん二名だけの受験で、Fくんは評判の秀才だったのだが、私は特別成績が良いわけでもなかった。それでも学科選抜は二人とも合格し、次の抽選(!)で私は落ちてしまった。なぜ抽選なんて制度があるのか知らないが、抽選当日にくじを引いて来た父親が「ダメだった…」とバツが悪そうにしていたのを覚えている。
ところが数日して一転、繰り上げ合格の知らせが来た。欠員が出たらしい。両親は喜んだが、私は納得がいかない。抽選なんて半端な方法で落としておいて、今度は合格なんてどういうつもりだと腹を立てた。しかも欠員で繰り上げするなら、その合格者も抽選で決めるべきではないのか。筋が通らないと両親に噛み付いた。一晩かけて説得されたのだが、すんなり入学する気にはなれない。父親と「ひとまず一年間通学して、どうしてもイヤだったら地区の中学校に転校する」という約束をして渋々承諾することにした。しかしその年の10月に父親が死んでしまったので、この問題はうやむやとなり、結局卒業までを過ごす事になった。

・高校受験(盛岡第一高等学校)
中学が下手に進学校だったのと、バスケ部での活動に熱中していたのとで、学内での成績は平均以下だった。3年生になって受験勉強を始めてから合格圏内に入りはじめたのだが、1、2年時のなまけぶりがたたって内申点は低い。よって入学試験で一定以上の点数をとる一発勝負に近い状態だった。そして不合格。浪人する事に。ちなみに同じ小学校からの秀才Fくんは早稲田高等学院に合格して東京に引っ越して行った。

・高校受験その2(盛岡第一高等学校・仙台育英)
高校受験で浪人というのは都市部では考えられないだろうが、高校の選択肢が少ない地方ではさほど珍しくない。進学校はたいてい旧制中学の流れを汲む県立高校で、当然一校しか受けられない。どうしても入りたければ浪人するしかないのだ。
一応高校受験のための予備校というものがあり、そこに通った。そこの会長が随分個性的な老人で、受験生にはカルシウム摂取が大切だといって、予備校生全員が週に一回カタツムリの殻の粉末を飲まされた。オブラートに包むのだが、それでも相当生臭くて閉口した。会長は「私は毎日飲んでいます!」と威張っていたが、「私は癌です!もうすぐ死ぬのです!」とも言っていた。
浪人なので勉強以外に特にする事がない。予備校行って、図書館行って、家に帰ってまた勉強。高校受験の範囲などたかが知れているので、人より一年余計に勉強するとたちまち成績は上がる。岩手の公立入試問題はとうに飽き、開成や筑駒、学芸大付属などの入試問題を解いて遊んでいた。
二度目の受験は念のために私立も受けることにした。県内では進学校と呼べる私立はなかったので、宮城の仙台育英の進学コース。これは合格。第一志望の盛岡一高もめでたく合格。全受験者中4位の成績であった。自慢のように聞こえるかも知れないが、その通りだ。本当は東京の学芸大付属(浪人受験可)も志望していたのだが、母子家庭ゆえ高校時から東京に住まわせる金はないと言われて諦めた。

・大学受験(早稲田大学第一文学部・東京外国語大学アラビア語学科・東京大学文科Ⅲ類)
高校受験での貯金が効いて、しばらくは成績が良かった。1、2年の時は模試で全県一位を取ったりして、ユザワは秀才だということになっていた。自慢のように聞こえるかも知れないが、もちろんその通りだ。しかし演劇部での活動への熱中度に反比例して成績は落ちて行く。3年になって受験勉強を開始するとやや持ち直した。
まずセンター試験対策。駿台・代ゼミ・河合塾のセンター試験用問題集を全て買い、全て解いた。解く問題集がなくなったので、しかたなく同じ問題集を三回解いた。センター試験得点率は95%。これだけ取れば東大理Ⅲでも足切りにはならない。
次いで早稲田一文受験。東京住まいの知人に合格発表を見に行ってもらい、合格の報を聞く。東京で芝居をやろうと思っていた私に早稲田合格は格別の喜びだった。田舎の演劇少年にとって早稲田の劇研は憧れだったのだ。
前期日程で外語大受験。これも合格。外語大は今では府中に移転して素敵な校舎になっているが、私が受験した頃は北区の西ヶ原というところにあり、信じられないくらいボロボロだった。同じ国立大である東大や一橋、お茶の水のような歴史を刻んだ威厳はゼロ。ちょっとびっくりしたが、まさか通う事になるとは思っていなかったのでさほど気にしなかった。入試の英語では外語大名物の超長文というのがあり、4〜5ページに渡る英文を要約しなければならない。英語が苦手な人はパッと見ただけでゲンナリするだろうが、大意さえ掴めばよく判らないところは省いてしまって良いわけで、重箱の隅をつつくような私大の文法問題よりよっぽど楽だった。
後期日程において東大文Ⅲ受験。通常の入試問題と異なり、小論文が中心となる。高校時代から戯曲を書いていて文章には自信があったのだが、見事に不合格。おそらく「歴史を学ぶ事の意義について論ぜよ」というテーマに対し、歴史が苦手だったので「特に意義はない」という趣旨の事を書いてしまったのが原因だと思われるのだが、本当のところは判らない。
結局、受かった二校のうち、経済的な理由で外語大を選ぶ事になった。そのため早稲田の劇研入りは夢と消えたのだが、実はオープンサークルで他大生でも所属できると知ったのは9年後のことだった。

こうしてみると高校受験で浪人した以外は全て国公立で済ましているので、随分家庭に優しい受験生であった。よく大人になってから「学生のとき勉強しておけば良かった」と言う人がいるが、私は存分に勉強したのでそれだけは思った事がない。だって受験生なんて勉強さえしてれば褒められるんだから。
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by maestro_k | 2007-01-17 21:15 | diary